● サン=サーンスとフォーレ往復書簡集

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サン=サーンス、言わずと知れたフランスの作曲家でオルガニストで、ピアニスト。

一般的に有名なのは「動物の謝肉祭」でしょうか。

1835年10月9日生まれ、1921年12月16日没。

 

なんと、2歳でピアノを弾き、3歳で既に作曲をしていたそうですよ。

13歳でパリ音楽院に入学。
作曲とオルガンを学び、作曲家・オルガニストとして活躍。

16歳で初めて交響曲を作曲。

22歳で、当時パリのオルガニストの最高峰と言われていたマドレーヌ教会のオルガニストに就任。

(マドレーヌ教会=マドレーヌ寺院は、ショパンの葬儀が行われた所でもありますね。)

ちなみに、マドレーヌ教会の歴代オルガニストはこの方々。

 

シャルル=アレクサンドル・フェシー(1842-1846)
ルイ・ジェームズ・アルフレッド・ルフェビュール=ヴェリー(1847-1858)
カミーユ・サン=サーンス(1858-1877)
テオドール・デュボワ(1877-1896)
ガブリエル・フォーレ(1896-1905)
アンリ・ダリエ(1905-1934)
エドゥアール・ミニャン(1935-1962)
ジャンヌ・ドゥメシュ(1962-1968)
オディール・ピエール(1969-1979)
フランソワ・アンリ・ウバール(1979- )

 

1871年、同時代のフランス音楽(室内楽・管弦楽曲)普及のために、フランス国民音楽協会を設立。

その背景には、普仏戦争がある。

 

都パリをプロイセンをはじめとするドイツ諸国の軍に包囲されたフランスは、1871年1月28日に降伏。

その約1ヶ月後に設立された「国民音楽協会」が、入会資格をフランス国籍を持つ者に限定し、フランスの存命作曲家の作品だけを演奏する方針をとった。
これは、敗戦のショックによってまき起こったナショナリズムの高揚を背景としている。

 

これとは別に、オペラや舞台作品を中心とするフランス音楽界にあって陽の目を見ることの少なかった、管弦楽や室内楽を中心に作曲する音楽家たちによる状況打破の動きも、協会の設立を促した。

  との事。

発起人はサン=サーンスと、そしてパリ音楽院の声楽科教授だったロマン・ビュシーヌ。

 

フランス国民音楽協会には、セザール・フランクやエルネスト・ギロー、ジュール・マスネ、ジュール・ガルサン、ガブリエル・フォーレ、アレクシス・ド・カスティヨン、アンリ・デュパルク、テオドール・デュボア、ポール・タファネルらが会員として名を連ねた。

しかし、後に国外の作曲家の作品も扱うようになったり、次世代の作曲家、ドビュッシーやラヴェルも会員に。

次第に国外の作品を扱う事で会員内で衝突が生じ、フランクが総裁に選ばれると、ピュシーヌとサン=サーンスは共同総裁を辞任。

 

サン=サーンスのエピソードには凄いものがある。

コルトーに向かって
「へぇ、キミ程度でピアニストになれるの!?」

と言ったとか。

(逆に褒め称えた=完璧なピアニストとして認めたのがゴドフスキー!)

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さて、この記事は書評ではありませんが、サン=サーンスの作品を学ぶなら、読んでおくと良い本をご紹介します。

 

「サン=サーンスとフォーレ往復書簡集」

 
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