● 「バッハの思い出」

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ヨハン・セバスチャン・バッハの二番目の妻となった
アンナ・マグダレーナ・バッハが書いた本。

バッハ好きなら読まれた方も多いでしょう。

バッハの深く広い愛に触れることができます。
バッハがどんな人だったのか?
どれほどに大きな器の人だったのか?を。

 

 

・バッハとの出逢い

 

この本の執筆は、アンナ57歳のときの事。

まず、アンナが少女の頃に、アンナの父が、バッハのオルガン演奏に魅了された。

バッハのオルガン演奏で父に一番大きな印象を与えたのは、
彼の演奏ぶりが静かでまた軽やかであることでした。
彼の足はペダルの上をまるで羽が生えているように
上下に飛び回るのですが、しかも彼は少しも
身体を動かしているとは見えず、たいていの
オルガニストたちがするように、身体をひねくったりは
しませんでした。
彼の演奏は、見た所、楽々と奏いていて、
少しも無理がなく、それでいて完璧でありました。

 

ある日、アンナは教会でオルガンの練習をしていたバッハの演奏を、一人こっそりと聴いていた。

アンナは一瞬でバッハに魅せられてしまった。
バッハが近づいて来ても、言葉を発する事もできず、顔を赤らめて逃げてしまった。

この時、バッハは「この娘と結婚する」と思ったそう。
そしてバッハは「この娘は私との結婚に絶対に同意する」と知っていた(疑わなかった)と後に語ったそうです。

 

後に結婚してから、アンナがクラヴィーアの練習をしていると、よくバッハは横にやってきて教えてくれた。
そしてバッハはこう言った。

「君が僕くらいの努力家なら、君だって
 僕程度には弾けるようになるさ」

 

 

・「平均律曲集」誕生秘話

 

バッハは主君と一緒の職務上の旅もずいぶんあったので、自分が不在中の弟子達のための練習曲として、小さな前奏曲やフーガは書かれました。

それは後に「平均律クラヴィーア曲集」という名前になりました。

 

バッハ家でわかっている一番最初の音楽家は、粉屋でパン焼きだった彼の大曾祖父ファイト・バッハとのこと。

この人の何よりの楽しみは、いつも小さなギターを抱えて水車小屋へ行き、粉が挽かれている間、そこで弾いていることだったとか。

その祖父は、きっと拍子を水車にあわせて弾くことを学んだに違いありません。

 

バッハ家では、「良い人」とは、いわば
子どものように音楽好きなことを意味するのです。

 

バッハが生まれたアイゼナッハのラテン語名は、
「イセナクム(Isenacum)」で、この字は
「エン・ムジカ(en musica)」すなわち、
「見よ!音楽を!」か、或はまた
「カニムス(canimus)」つまり、「我らは歌う」となるのです。

こんな洒落を、バッハは愉快そうに笑って話していました。

 

 

・バッハの手と公務

 

バッハは、特別注目に値する手を持っていました。

その手は大きく非常な力があり、鍵盤の上で人並みはずれて伸ばし広げることのできる、指間隔を持っていました。

親指か小指で一つの鍵盤をおさえ、他の指だけでも、その手が完全に自由自在であるかのように、弾きこなす事ができるのでした。

どの手、どの指でもトリルが出せた事は言うまでもありません。

今でも思うのですが、鍵盤とオルガンペダルの上で、彼に出来ない事は何一つありませんでした。
いえ、何でも、やすやすとできたのです。

 

バッハの公務といえば、日曜と木曜の朝、礼拝の際に演奏、月曜の祈祷に音楽伴奏をつけ、教会コーラスの練習の指揮をするだけのことでしたから、個人的に好きなことをする余暇は十分にありました。

しかし、その余暇は彼にとっては、すなわち仕事の機会にほかなりませんでした。

 

 

・バッハが演奏するのは

 

世界の一番優れた音楽家に聴いてもらうためなんだ。
おそらくその人はその席にはいないだろうけれど。
でも、いつもその人がいるつもりで演奏するのさ。

 

そう、バッハは申しておりました。
私はいつも思っていました。
その人はいつだって、ちゃんとそこにいるじゃありませんか。
ゼバスティアン(バッハ)が演奏しているんですもの。

でも、このような言い方は彼の大嫌いなことでした。

 

 

・老練な音楽家とは?

 

ゼバスティアンは
「老練な音楽家というものは、どんな種類の音楽でも
 楽譜を一目見てすぐ演奏できるのだということを
 見せてもらいたい」
と所望される事がありました。

ところがある日、同僚だったオルガニストが冗談半分に仕掛け、ゼバスティアンはどうしてもある音符でつまづいて何度弾き直しても弾けませんでした。

するとゼバスティアンはかなり腹をたて
「いや、何から何まで弾ける人はいないよ。
 そんなにわけなくできるもんじゃないさ」
と言いました。

 

後年、彼は臆病すぎる弟子たちを元気づけるために、よくこの話を自分からしておりました。

 

 

・愛する妻のおねだり

 

アンナは、バッハがちょっとでも暇な時に、精一杯甘えて、前奏曲かフーガを一つ二つ弾いて
聴かせてくださいと おねだりしました。

するとバッハは
「おまえ、僕の平均律クラヴィーアの邪魔をすると、
 しまいに僕を不平均律音楽家にしちまうよ」
と、いつもわたくしをからかって申しました。

そう言いながらも彼は、クラヴィーアに向かうと、左手で、並んで座っているわたくしを抱き、右手で、あるフーガの主題を弾きだしました。

そのうち中音域になりますと、彼はわたくしを離そうとはせず、わたくしを抱いているもう一つの手で思い切り良く弾きましたから、私は腕の中に押さえつけられたまま、すくんでいなければなりませんでした。

そして最後の和音になって私を離しますと、彼は笑いながら叫びました。

「おまえがフーガに食傷するには、こういう目に
 遭うのが当たり前さ!」

 

 

・ロマンティックなバッハ

 

ある時、バッハ家はライプツィヒに引越しました。
楽長邸の門前に止まった時、ゼバスティアンはいの一番に馬車から飛び降りると、昔ながらの
ドイツのしきたり通り、わたくしを抱いて敷居を越すのだと言い張りました。

「第一、おまえはまだたいして花嫁さんと変わりがないじゃないか」

と彼は言って、わたくしに敷居の上で接吻しました。

 

私たちの後に子ども達が続くと

「おい!おまえが20人の子持ちになったって、
 やっぱりおまえは僕の花嫁さんだぜ!」
と叫びました。

 

わたしが歳をとり、頬にしわがよっても、

「おまえの金髪は、長い間、僕にとっては
 太陽の光だった。
 今では銀髪が僕の月光さ。
 僕たち若い恋人同士には、その方がずっと
 都合の良い光じゃないか!」

と言うのでした。

 

 

・「イギリス組曲」誕生秘話

 

 
ある時、大変背の高い紳士、英国人のお客様がきました。
その人はオルガンを聴くのが大好きで、ゼバスティアンの名声を聞いて、わざわざ出かけてきたのでした。

ゼバスティアンはすぐにこの人に好感を持って、さらにもっと奏いてあげるだけでなく、二時間もかかる合奏曲でも聴かせてあげたいほどの気持ちになりました。

そこでゼバスティアンは即興で魅惑的な一曲を作りました。

これを後に書き下ろしたものが、この英国人のお客様のため故に、「イギリス組曲」と通称されるようになりました。

というのも、この紳士はチャールス・デューパートの一冊の作曲集を送ってくれたのですが、ゼバスティアンは、この本から幾つかのリズムを利用したからでもあるのです。

 

 

・バッハ家所有の楽器

 

時の経つにつれて、バッハ家は楽器でいっぱいになりました。

ゼバスティアンはどんな楽器でも好きでしたが、それらを思うままに手に入れることは、とても出来ませんでした。

しかし、彼が亡くなった時、彼はチェンバロとクラヴィコードを合わせて五つ、クラヴィチェンバロを二つ、小さなスピネットを一つ、ヴァイオリンは小一つに大二つ、ヴィオラが三つ、チェロ二つ、バスヴィオラ一つ、ピッコロ一つ、ギターを一つ持っておりました。

彼はどんなに必要な事、差し迫って欲しいものがあっても、決して借金だけはしませんでした。

 

 

・バッハの作曲教授法

 

彼の作曲を教える方法は、他の教師達の堅苦しく生気のない、規則ずくめのやり方とは全然違いました。

和声学、対位法、数字記号付き低音奏法、フーガ法、全てのものを教えるのに、生命と興味に満ちた研究方法を用いたのです。

 

彼はまずどの弟子にでも、ある特定の全音階で各音部を書きつけさせて、ごちゃごちゃになったり
でたらめな部分が出来たり、どの音部もくだらぬ馬鹿げた音を出したりすることがないようにします。

どの音符でも、正しい根拠がなければ存在を許されないのでした。
単に気がきいているからといって、偶然的に和音を添付するようなことも、決して許しませんでした。

 

「いったいこれはどこから出て来たのかね?」と彼は半ばからかうように、半ば詰問するように
訪ねて、削除してしまうのです。

「天からでも、君の譜に落っこちてきたのかな?」

 

アンナがどれほどにバッハを深く愛し、尊敬していたのか、
そしてバッハもまた、アンナを深い愛で包んでいたこと、
家族を愛していたこと、弟子達を思いやって厳しく、
でも笑いに溢れていた事、そんな素敵な「バッハ」の事がよく伝わって来る一冊です。

 

バッハの作品はバロック音楽ですが、とてもロマンティックだと私は思っています。
(バロックだからロマンティックではない、というわけではないです。)

それはやはり、バッハ自身がロマンティックで、心の大きな方であったからだと確信させられました。

 

 

お読み下さり、ありがとうございました。

 
荒井千裕 拝
 
 
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投稿者プロフィール

Chihiro ARAIピアニスト / ピアノ講師
香港在住24年。ピアニストでピアノ講師。
香港演藝学院のエレノア・ウォン教授に師事。
ピアノ・ソロ、ヴァイオリンとのデュオ、二台ピアノ、オーケストラとのピアノ協奏曲などの演奏活動をしながら、香港と日本で「体も心もラクにピアノを弾く」をモットーにレッスンをしております。