● ドビュッシーの言葉を知ると、表現力が2倍になる!

クロード・ドビュッシー、フランスを代表する作曲家。

1862年8月22日生まれ、1918年3月25日没。

つまり、今年はドビュッシーの没後100年のアニバーサリー・イヤー。

今年はドビュッシーの曲を弾くぞ!

と精を出している方も多いのではないでしょうか?

ドビュッシーは私が大好きな作曲家の一人です。

ドビュッシーの言葉を知る事で、あなたの表現が2倍ふくらむ!

というわけで、今年はドビュッシーについて、

そして、ドビュッシーの作品について少しずつお話していこうと思います。

ドビュッシー好きな方は読んだ事があるでしょうか。

マルグリット・ロン著の「ドビュッシーとピアノ曲」。

この中に、ドビュッシーの言葉が記されています。

著者であるマルグリット・ロン氏が実際にドビュッシーの
レッスンを受けた際のことです。

それを少しご紹介しましょう。


マルグリットがドビュッシーの教えを受けた後、第一次世界大戦勃発。

マルグリットはこの大戦でご主人を亡くしました。

ドビュッシーは戦争が拡大することで生活が乱され、こんな事を。

私はこの恐るべき大動乱にもみくちゃにされている切れっぱしで、

 私のしている事はあまりに小さい。

 伍長の肩章をつけてパリを守り抜くのだ!と

 真剣に熱をあげているサティを、羨ましいと思うようになっている。

 

 

 

ある日、ドビュッシーは陽が照りつける道路でマルグリットを待っていた。

そして

嬰トを<ピアノ(P)>としなければならない。

 一晩中その事ばかり考えていたんだよ。

マルグリット・・・は?なんのこっちゃ?わっけわからんし

と思ったか?

 「先生、ごめんなさい。先生が何を仰っているのか、
  何が嬰トなのか、わからないのです。どこにあるのでしょう?」

と返したそう。

ドビュッシーの言う「嬰ト」とは、「映像第一集」第三曲の「運動(動き)」の事だったとか。
 

それまで、「より強く!」と指示していた所、クレッシェンドを繰り返すために、

「ただちに弱く!」に変えたと。

 

「映像第一集」の”水に映る影”。(水の反映、ではなく、水に映る影、と訳されています。)

では「映る影」とは何の事だろうか?

「水」という同一主題を用いた三つの作品があります。

・リスト「エステ荘の噴水」(1877-83)

・ラヴェル「水の戯れ」(1902)

・ドビュッシー「水に映る影」(1905)

リストの場合は、彼の心と天才の炎が滝となって落ちる
水の泡立ちを虹色に染めながら、落下する水に溶け合う事はない。

エステ荘がその縁取りとなって、眼を奪う装飾となっており、
それを写している鏡なのでしょう。

この曲を演奏するに当たっては、その具象的な面を留意しなければならない。

ラヴェルの場合は、ラヴェル自身がリストの曲と同じように
演奏することを勧めているにも関わらず、彼の性格からくるものと、
芸術上の模写趣味が音楽としては全く別物となっている。

アルペジオは噴出し、陽の光に煌めき、その勢いを隠す水煙となって落ちかかる。

それはまさにラヴェル的なもので、具象とは相容れない「抽象」の世界である。

ピアノ演奏にあたって求められているのは「客観的な演奏」である。

ドビュッシーのこの作品は、リストやラヴェルのように、

いくらか高く構えた態度・姿勢とは無縁で、
自然に注ぐ深い愛情から、自然も含まれる生命の
根元としての水に沈潜していった。

「水に映る影」も「流れ」も「愛撫」も「気難しさ」も、見逃してはいない。

それら全てを感じる事が出来る人でなければ、
説明不可能な音楽的ニュアンスを持っている。

 

ドビュッシー曰く・・・

水に小さな輪がひとつ。小石がひとつ、その中に落ちたのだ。

これが、ドビュッシーの音楽のダイアモンドと言うべき、
真の貴重な水なのだ。

この曲は、ドビュッシーがデビューした頃から強調していた、
世界の宝全部にも値する三つの音符

「ら・み・ふぁ」が骨組みで出来ている。

この三つの音は至る所に出てきます。

それを運んでいる微風、風、時間によって、
その伝え方を変える必要がある。

それは、フォーレ風の「夕暮れ」なのか?

それは真昼の静寂のさなかのことなのか?


ドビュッシー作品を演奏するに当たって必要不可欠な事。

・手は継続的であるのは勿論、深く押す力を持つ事。

・ドビュッシー独特のやり方で、鍵盤にぴたりとついて離れない事。

ピアノの弦のように、響き渡っている根元まで指は届かなければならない。

レガートに対しては、ピアニストはタッチを重視して、
指の先で感じる必要があり、強さの中に柔らかさを、
柔らかさの中に強さを失わないようにしなければ、ならない。

 

ドビュッシーは、ラヴェル同様に、楽譜に自身が遺した
指示通りに演奏しない者を、極端に嫌がったそうです。

 

ドビュッシーの言葉に

腕のいい者より、忠実である事が大事

というのがあります。

どんなに良い演奏をする音楽家であっても、
自分の指示通りに演奏しない演奏家なら、
自分の作品を演奏するのは、お断り、といった所でしょうか。

 

 

お読み下さり、ありがとうございました。

荒井千裕 拝

 

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