ショパンのふるさとポーランドの思い出
コロナが世界中に蔓延してから、旅をする事はとても難しい事になっちゃいましたよね。
幸い、25年間の香港滞在中、いろんな国を訪れる機会に恵まれました。
だから逆に、帰国してからは日本国内をいっぱい楽しもう!って思っていたのです。
が、今はまだそれも難しいことですね。
コロナが蔓延しなかったら、5年に一度開催されるピアノの世界的なお祭り、
ショパン・コンクールは去年(2020年)に開催される予定でした。
でも、コロナね。というわけで、今年(2021年)にショパン・コンクールが開催されます。
ショパンが生まれ育ったポーランドはワルシャワで開催。
私はショパン・コンクールを聴きに行く機会はありませんでしたが、ポーランドを1度だけ訪れました。
それは2005年のこと。やはりショパン・コンクールが開催される年でしたから、街中でショパン・コンクールのポスターも目にしました。
今日は少しだけ、ショパンのふるさと、ポーランドはワルシャワの思い出を開いてみようと思います。
少しだけ、ワルシャワの写真もありますので、良かったらご覧ください。
香港からワルシャワへは、フランクフルトを経由する
香港からポーランドへの直行便は、ありませんでした。
だから、まずはドイツのフランクフルトへひとっとび。
とは言っても、12時間の長旅ですよ。寝てればあっという間?
そう簡単に寝れないものです。
何しろ、周囲に座っている人たちのマナー如何によって、フライトが快適になるかどうかは左右され。
私の記憶では、たいていヨーロッパへのフライトだと、乗客の多くが欧州人なので体が大きいでしょ。
後ろの人の足がニョキッと伸びてきて、私のひじかけに乗せられた時…
通路をはさんで隣の人が、ものすごい酒豪で飲みまくっていた時…
もう、ニオイがひどくて死にそうなフライトでした。
まぁそれはさておき。
12時間のフライトでフランクフルトへ到着。
現地時間の夜に着いたので、安全のためフランクフルト空港近くのホテルで1泊。
ちなみに、フランクフルトまでの飛行機で出てきたパンが美味しかったです。
ついでに言うと、その後、フランクフルトからワルシャワへ飛んだ時に出てきたスナックのパンも、美味しかった。
何回か欧州へ行きましたが、なるべく現地の航空会社の飛行機を選んで乗ると、パンが美味しい!と思う事が多かったですよ。
ちなみに香港→フランクフルトへのフライトは、ルフトハンザドイツ航空でした。
ドイツと言えばやっぱりソーセージ?豚足?とか思ったのですが、フランクフルトのホテルではどちらもお目にかかれず。
でもね、ミートボールのホワイトソース煮のようなものが美味しかった!
そして翌日、フランクフルトからワルシャワへ。
フランクフルトからワルシャワへのフライト時間は1時間40分でした。
こちらもルフトハンザドイツ航空で。
この時は、真ん中に通路が1本あって、両側に3席ずつの小さな飛行機でしたが、ガラッガラでした。
ワルシャワへのフライトでは、穀物入パンのサンドイッチが出てきました。
チェダーチーズとハムをはさんでいるだけのシンプルなサンドイッチでしたけど、やはりパンが美味しかったの。
フレデリック・ショパン空港からワルシャワ市内へ
ポーランドのワルシャワにある空港は、「フレデリック・ショパン空港」っていうんです!
テンション上がっちゃいますよね。
さて、まずはパスポート・コントロールにて
「ビジネスですか?観光ですか?」と聞かれるわけです。
これはどこの国でも同じですよね。
だけど、どう見ても私はビジネスのためにポーランドまでやってきた人には見えないんです(笑)。
しかも家族で行ったしね。
フレデリック・ショパン空港からは、中央駅まで出なければなりません。
その路線は二つ。
- 路線バス175番を利用する
- タクシー利用
私たちが泊まったホテルがある観光中心街と中央駅は、少しだけ離れていました。
(歩けない距離ではなかったけれど)
でも、荷物を転がして歩くには、子供の手を引いて歩くには初めての国ではちょっと怖い。
ポーランド在日本領事館が発していた警告でも、世界旅行のバイブル「地球の歩○方」でも、とにかくこの空港から中央駅までの175番バス内が、もっともスリの被害に遭いやすいところ。
次いで危ないのが、中央駅内という事でした。
体格の良い数人の男性に取り囲まれて、身動き一つ出来なくなるとか。
そして、体に身につけている貴金属からお財布・パスポート、みんな、取られてしまうのだそう。
だから、この「175番バス」は要注意!
と、私は頭にインプットされていましたよ。
ところが夫がね、何故か「175番バスは危険」というところだけ見逃したのか?
空港から中央駅に出るにはバスなら「175番を利用」というところにだけ、「地球の歩○方ポーランド編」に、二重のアンダーライン+○まで付けていたのです。
というわけで、夫は空港ビル内のキオスクで両替して、一路175番バス乗り場へ。
いざ、スーツケースを積んで乗り込む。
三人分のバス代を支払う…も!また、スーツケースをバスから降ろす羽目に。
ここで通貨の違いに悩まされます。
私たちは、香港ドルを一度ユーロに両替し、それからユーロをポーランド・ズオッティに変換したの。
香港ドルから直接ポーランドの通貨ズオッティへは両替出来ないから。
そしたらね、ポーランドのお金って、単位が小さいっていうのかしら?
こんな感じです。
- 日本円1000円を香港ドルにすると、70ドルほど
- 香港ドル100ドル=約9.5ユーロ
- 香港ドル2ドル=ポーランド1ズオッティの換算
(間違っていたらスミマセン)
ポーランドでは、1ズオッティとか10ズオッティ以下がコインで、それ以上が紙幣。
これはどこの国でもそうだけど、空港などの両替所で両替してもらうと、多くは紙幣で出てくる。
この日のバスに限らず、後日の各博物館などでもそうでしたが、紙幣そのもので払おうとすると
「貨幣が大きすぎてお釣りがない」と言われてしまうのね。
そういうわけで、空港からバスに乗ろうと、夫が持っていた一番小さい紙幣で払おうとしたら(20だか50ズオッティ)、運転手さんに拒否されてしまって、乗れなかったのです。
紙幣がデカスギル!が理由。うーむ。
でもね、空港ビル内のキオスクで
「これから、175番バスに乗って市内に出たいのですが、切符買えますか?
ちょっとお金を細かくしてもらえませんか?」と訪ねていたのよ。
(両替は両替所で済ませており、また、175番バスのチケットは空港ビル内のキオスクで買える、とガイドブックにはあった。)
ところが、キオスクの化粧がちょっと濃い目のおねえさまは
「バスの運転手から直接切符は買えるから大丈夫よん♪うふっ♪」
てな感じで💦
バスの切符も売ってくれなければ、細かいお金への両替もしてくれなかったのです。
そして空港内では、まるで
「あなたたち、もしかして、K1選手?」
というくらい合体のいい、背が高くて、しかもスキンヘッドで怖い雰囲気かもし出しまくりのポーランド男性が
「タクシ~?タクシ~?」
と執拗に勧誘してきます。怖すぎるっ!
はじめは無視していたのですが、結局175番バスに振られた私たちは、あえなくタクシーのお世話に。
でもね、客引きしていたタクシーには、乗らないようにね。やっぱり怖いから。
安全だ、と言われている会社運営のタクシーに乗り込む。
そしてようやく、ワルシャワ市内のホテルへ。
これが、案外、近いのね~。
あっという間に着きました。
ホテルに着いたのは、午後1時半頃。
さ!観光できるわよ!行くわよ!っというところだったのに…
ポーランド人、お願い。
もう少し、普通に働いてくださいまし…
だってね、どこもかしこも午後2時閉館だったんですよ。
あえなく撃沈。
閉館時間制限のないところへ。
ワルシャワ市内観光
私たちが泊まったホテルの部屋の窓から外を見ると、そこにはコペルニクス像が。
ホテルを中心に左手にコペルニクス像、
前にショパンの心臓が納められている聖十字架教会、
そのほぼ隣にショパンがワルシャワで三番目に住んだチャプスキ宮殿、
ホテルの右手には現ワルシャワ大学(含むワルシャワ音楽院)でショパンの第二の家、という図になっていました。
上で書いたように、ワルシャワ市内の博物館やら王宮やら、観光名所はほとんどが午後2時閉館。
というわけで、閉館時間制限のないところという事で、ホテルのまん前にある聖十字架教会に納められているショパン様の心臓のお参りに。

聖十字架協会の中に入って、中央右手の柱にショパン様の彫刻画があります。
その柱の中に、ショパンの心臓が納められていると。
しばらくそこに立ち尽くして、思いにふける。
広い教会内には10数人の信者の方々がまばらに座って、それぞれに祈りを捧げていらした。
ショパン以外のいろんな方々の彫刻が各柱にあって、それぞれ何かあるようだったけれど、私には全くわからなかったなぁ。
そうやって、教会内をゆっくり歩きながらいろいろ見ていた間、息子は一人でずーっとショパン様の柱の前に神妙に座っていました。
息子は当時10歳だったかな?
「疲れた?」と聞くと、そうじゃなくて、
「ショパンの心臓がココにあるんだ~」と思って…
と、私よりも感慨深げ。
息子は当時、ショパンの作品は一曲も弾いたことはありませんでしたが。
もう、どこも閉館時間を過ぎていて中に入れるところがないので、両替所を探しながら市内を歩く。
(空港はえらいレートが悪かったので最低限しか両替していませんでした)
次の写真は、聖十字架教会とホテルを挟む、同じ道路沿いをほんの少し歩いたところにある「ラジヴィウ宮殿」。

写真の右下に「6 2 05」とありますが、日本と日付の表記が違うので、これは「2005年2月6日」という事です。
そう、香港の旧正月の休暇に旅したのでした。
ちょっと光が反射しちゃってよく見えませんが。
ここで、ショパンの初めてのピアノ演奏会が行われたそう。
現在は、大統領官邸になっているため、中には入れませんでした。
まだまだ同じ道路をまっすぐ行くと、旧王宮前の広場に出ました。

建物の外壁がとてもキレイです。
この右手に旧王宮が。

そしてそこを左折して、旧市街市場に出ましたよ。

ここをまっすぐ抜ければ、バルバカンへ。
右手の建物群も、とてもキレイですね。
よくここまで再現したものです。
結構市内の建物はね、戦争の爪痕が残っていましたから(銃弾の痕があちこちに)。
ポーランド人魂に敬服。

この広場は、戦前はたくさんの出店でごったがえしていて、文字通り「市場」だったようです。
さて、広場を抜けると、そこにはバルバカンが。

バルバカンとは、ポーランドの首都ワルシャワ旧市街にある赤れんが造りの円形状の砦(とりで)のこと。
旧市街を囲む市壁に付随しているバルバカンは、バロック様式の砦で、馬蹄形をしています。
つい…積もっていた雪に狂喜乱舞して雪遊びを始めてしまった息子と私。
だって、香港は雪が降らないんですもの。
二人雪合戦に興じること30分強?
急に寒さが増して、騒がしくなってきました。
頭上を、カラスの大群が。
どこか巣?に帰るところなのか?
あんなにたくさんのカラスの群れを始めて見ました。
ちょっと早かったけれど、寒くなってきたし、暗くなってから帰るのは怖かったので、早めのディナーを。
旧市街広場にあるレストラン「シェヴィエントシェク」にて。
建物の地下にある、ちょっと雰囲気のいいポーランド料理店ですよ。

すっかり食事の写真を撮るのを忘れていましたが、この日 頂いたのは…
ポーランド・ビールに始まり、赤カブのスープ「ジュレク」と「ラジヴィウ風ひれ肉のスタッフド・ロール」。
そして、ポーランドではワインは造っていないそうなので、お店の方のオススメというスロヴァキア産の赤ワインを。
これが、美味しかった!
スープもお肉もワインも!最高!
ちょっと気になった事。
それはもう2月だと言うのに、店内にはクリスマス・ツリーやらオーナメントがまだたくさんあったの。
そういえば、街中のお店でも、クリスマス・ツリーが飾られているのをよく見ましたよ。
ポーランドでは2月までクリスマスは続いているのかしら?
すっかり温まって、いい気分になった頃、もう外は真っ暗。
日が落ちてからのワルシャワ市内は物騒。
歩くのは危険、バスも危険、流しのタクシーも危険…
ホテルやレストランでタクシーを呼んでもらうのが一番!
ということでしたが、このレストランは車が入れないところにあったの。
ちょっと怖かったけれど、他に方法がないので歩いてホテルまで帰りました。
2~30分くらい?
香港を出てからと言うもの、体を動かすことなく食べまくりでいたので、ちょっと運動しなきゃね!
とか言いながら、わーわー騒ぎながら歩いて。
雪が積もっているところを見つけると、ザクザク雪を踏みしめて歩いたりして。
楽しかった。
そして、思ったほど寒くありませんでした。
最低気温マイナス14℃ということでしたが、この日は気温マイナス3℃。
雪は降っておらず、一週間前に降った雪がそのまま残っているだけ、とのことでしたよ。
ショパンの手形
さて、せっかくポーランドまで行ったのですからと、ショパンの生家があるジェラゾヴァ・ヴォラを訪ねました。
ワルシャワからバスで1時間くらいだったでしょうか?記憶がイマイチですが…
ショパンの生家では、ショパンの手形を求めてきました。

こちらがショパンの手の複製。
ショパンの身長は170cmだったそうです。
私の身長が164.5cmなので、私がヒールのクツを履いた時くらいの身長だったよう。
私の手は、私の体格の割には大きくはないんですね。
普通に広げて届くのが9度。
めっちゃ無理して10度が届く時があるかも?くらいです。
ショパンの手、小さいんですよ。
しかもっ!細いやん!

って、私の手と並べて撮ってみました。
げ!太っ!私の手!
これを、我が家にやってくる人たちに
「見て見て~!ショパンの手よぉ~!」と見せまくっているのですが…
反応は・・・
「こっ怖い…」
「これ、どうやって作ったんでしょうか?
もしやして、死んだ時に?」
というものか
「うわっ!細いっ!」
ワハハ!
で、こんなこともやってみちゃいました。

ショパン様の御手が私のピアノをっ!(笑)
実際、ショパンが住んだ家やジェラゾヴァ・ヴォラの生家には、ショパンが使ったというピアノが幾つか置かれていました。
ジェラゾヴァ・ヴォラ以外の家にあったピアノは、全て複製。
ポーランドが侵略された時に破壊された、或いは、ドイツ軍に壊されるくらいなら、と窓から家族が自らピアノを落として壊したそう。
亡くなる前の年に作られてショパンに贈られ、パリで使っていたというピアノだけが、無事に残されていたそうです。
そして、そのピアノがジェラゾヴァ・ヴォラの生家に戻され、唯一、実際にショパンが使った本物のピアノとして展示されていました。
それを見ると…
やはり昔のピアノなので、今、私たちが使っているピアノとは違います。
鍵盤数も88鍵はありませんでしたし、何しろ、鍵盤が細いの。
そして、黒鍵が今のものより長い。
私があの時代のピアノを弾いたら、黒鍵と黒鍵の間に指が挟まって抜けなくなるかも?
だから、ショパンのような繊細で細い指でなければ、ダメだったのかも?
と同時に・・・
ショパンの作品は、やたら指を広げて弾くことを駆使させられると感じるものが多かったりして、つい必死になって弾いてしまいがちですよね。
でもね、このショパンの手を見ていると
「そんなに必死にならなくてもいいんだよ。
がむしゃらにならないで。
柔らかく、優しく、心で歌ってごらん。」
と言われているような気がしてきました。
というわけで、ショパンのふるさとポーランドの思い出紀行はこれにてオシマイ。
お付き合いくださり、ありがとうございました!
エンジョイ!あなたのピアノ・ライフをもっと豊かに!
もっとラクに心と体を使ってピアノを弾くお手伝いをしています。
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