バッハを弾くなら、妻アンナの著作からバッハの深く広い愛をもっと知ろう!
ピアノに限らずクラシック音楽をやっていると、いつか必ず目の前に現れる大作曲家がいる。
彼こそがヨハン・ゼバスティアン・バッハ。

あなたにも見覚えがあるでしょう。学校の音楽室にあった肖像画を。
この肖像画ばかりが使われることが多くて、この印象が強すぎて、難しくて真面目過ぎるように感じて必要以上に敬遠してしまうのかも?しれません。
それでもね、きっとこの1冊を読んだらあなたのバッハ様への印象は変わるはず。
お硬いイメージがあるかもしれないバッハ様は、実はとてもロマンティックな偉大な方なのです。
そんな一冊「バッハの思い出」についてご紹介しましょう。
Contents
「バッハの思い出」とは?
この「バッハの思い出」という本は、ヨハン・セバスチャン・バッハの二番目の妻となったアンナ・マグダレーナ・バッハが書いた本です。
バッハ好きなら読まれた方も多いでしょう。
この本を読むと、バッハの深く広い愛に触れることができますよ。
バッハとは一体どんな人だったのか?どれほどに大きな器の人だったのか?という事を。
バッハとの出逢い
この本の執筆は、アンナが57歳の時の事。
まずアンナが少女の頃に、アンナの父がバッハが弾くオルガン演奏に魅了されたそう。
バッハのオルガン演奏で父に一番大きな印象を与えたのは、彼の演奏ぶりが静かでまた軽やかであることでした。
彼の足はペダルの上をまるで羽が生えているように上下に飛び回るのですが、しかも彼は少しも身体を動かしているとは見えず、たいていのオルガニストたちがするように、身体をひねくったりはしませんでした。
彼の演奏は、見た所、楽々と奏いていて少しも無理がなく、それでいて完璧でありました。
ある日、アンナは教会でオルガンの練習をしていたバッハの演奏を、一人こっそりと聴いていたそう。
するとアンナは一瞬でバッハに魅せられ、バッハが近づいて来ても言葉を発する事もできず、顔を赤らめて逃げてしまった。
この時、バッハは「この娘と結婚する」と思ったそう。
そしてバッハは「この娘は私との結婚に絶対に同意する」と知っていた(疑わなかった)と後に語ったそうです。
後に結婚してから、アンナがクラヴィーアの練習をしていると、よくバッハは横にやってきて教えてくれてバッハはこう言った。
「君が僕くらいの努力家なら、君だって僕程度には弾けるようになるさ」
むきゃー!奥さんが努力している事を、ちゃんと認めて受け止めているこの包容力の大きさ!しびれちゃいますね。
平均律クラヴィーア曲集」誕生秘話
バッハは主君と一緒の職務上の旅もずいぶんあったので、自分が不在中の弟子達のための練習曲として、小さな前奏曲やフーガは書かれました。
それが後に「平均律クラヴィーア曲集」という名前になったのです。
バッハ家でわかっている一番最初の音楽家は、粉屋でパン焼きだった彼の大曾祖父ファイト・バッハ。
この人の何よりの楽しみは、いつも小さなギターを抱えて水車小屋へ行き、粉が挽かれている間、そこで弾いていることだったとか。
その祖父は、きっと拍子を水車にあわせて弾くことを学んだに違いありません。
バッハ家では、「良い人」とは、いわば子どものように音楽好きなことを意味するのです。
バッハが生まれたアイゼナッハのラテン語名は、「イセナクム(Isenacum)」で、この字は「エン・ムジカ(en musica)」すなわち、「見よ!音楽を!」か、或はまた「カニムス(canimus)」つまり「我らは歌う」となるのです。
こんな洒落を、バッハは愉快そうに笑って話していました。
バッハの手と公務
バッハは、特別注目に値する手を持っていたそう。
その手は大きく非常な力があり、鍵盤の上で人並みはずれて伸ばし広げることのできる、指間隔を持っていました。
親指か小指で一つの鍵盤をおさえ、他の指だけでもその手が完全に自由自在であるかのように、弾きこなす事ができたのです。
どの手、どの指でもトリルが出せた事は言うまでもありません。
今でも思うのですが、鍵盤とオルガンペダルの上で、彼に出来ない事は何一つありませんでした。
いえ、何でも、やすやすとできたのです。
バッハの公務といえば、日曜と木曜の朝、礼拝の際に演奏、月曜の祈祷に音楽伴奏をつけ、教会コーラスの練習の指揮をするだけのことでしたから、個人的に好きなことをする余暇は十分にありました。
しかし、その余暇は彼にとっては、すなわち仕事の機会にほかならなかったのです。
バッハが演奏するのは何故?
世界の一番優れた音楽家に聴いてもらうためなんだ。
おそらくその人はその席にはいないだろうけれど。
でも、いつもその人がいるつもりで演奏するのさ。
そう、バッハは申しておりました。私はいつも思っていました。
その人はいつだって、ちゃんとそこにいるじゃありませんか。
ゼバスティアン(バッハ)が演奏しているんですもの。
でも、このような言い方は彼の大嫌いなことでした。
老練な音楽家とは?
ゼバスティアンは「老練な音楽家というものは、どんな種類の音楽でも楽譜を一目見てすぐ演奏できるのだということを見せてもらいたい」と所望される事がありました。
ところがある日、同僚だったオルガニストが冗談半分に仕掛け、ゼバスティアンはどうしても、ある音符でつまづいて何度弾き直しても弾けませんでした。
するとゼバスティアンは、かなり腹をたて「いや、何から何まで弾ける人はいないよ。そんなにわけなくできるもんじゃないさ」と言いました。
後年、彼は臆病すぎる弟子たちを元気づけるために、よくこの話を自分からしておりました。
愛する妻のおねだり
アンナは、バッハがちょっとでも暇な時に、精一杯甘えて、前奏曲かフーガを一つ二つ弾いて聴かせてくださいと おねだりしました。
するとバッハは「おまえ、僕の平均律クラヴィーアの邪魔をすると、しまいに僕を不平均律音楽家にしちまうよ」と、いつもわたくしをからかって申しました。
そう言いながらも彼は、クラヴィーアに向かうと左手で並んで座っているわたくしを抱き、右手であるフーガの主題を弾きだしました。
そのうち中音域になりますと、彼はわたくしを離そうとはせず、わたくしを抱いているもう一つの手で思い切り良く弾きましたから、私は腕の中に押さえつけられたまま、すくんでいなければなりませんでした。
そして最後の和音になって私を離しますと、彼は笑いながら叫びました。
「おまえがフーガに食傷するには、こういう目に遭うのが当たり前さ!」
ロマンティックなバッハ
ある時、バッハ家はライプツィヒに引越しました。
楽長邸の門前に止まった時、ゼバスティアンはいの一番に馬車から飛び降りると、昔ながらのドイツのしきたり通り、わたくしを抱いて敷居を越すのだと言い張りました。
「第一、おまえはまだたいして花嫁さんと変わりがないじゃないか」と彼は言って、わたくしに敷居の上で接吻しました。
私たちの後に子ども達が続くと「おい!おまえが20人の子持ちになったって、やっぱりおまえは僕の花嫁さんだぜ!」と叫びました。
わたしが歳をとり、頬にしわがよっても、「おまえの金髪は、長い間、僕にとっては太陽の光だった。今では銀髪が僕の月光さ。僕たち若い恋人同士には、その方がずっと都合の良い光じゃないか!」と言うのでした。
「イギリス組曲」誕生秘話
ある時、大変背の高い紳士、英国人のお客様がきました。
その人はオルガンを聴くのが大好きで、ゼバスティアンの名声を聞いて、わざわざ出かけてきたのでした。
ゼバスティアンはすぐにこの人に好感を持って、さらにもっと奏いてあげるだけでなく、二時間もかかる合奏曲でも聴かせてあげたいほどの気持ちになりました。
そこでゼバスティアンは即興で魅惑的な一曲を作りました。
これを後に書き下ろしたものが、この英国人のお客様のため故に「イギリス組曲」と通称されるようになりました。
というのも、この紳士はチャールス・デューパートの一冊の作曲集を送ってくれたのですが、ゼバスティアンは、この本から幾つかのリズムを利用したからでもあるのです。
バッハ家所有の楽器
時の経つにつれて、バッハ家は楽器でいっぱいになりました。
ゼバスティアンはどんな楽器でも好きでしたが、それらを思うままに手に入れることは、とても出来ませんでした。
しかし、彼が亡くなった時、彼はチェンバロとクラヴィコードを合わせて五つ、クラヴィチェンバロを二つ、小さなスピネットを一つ、ヴァイオリンは小一つに大二つ、ヴィオラが三つ、チェロ二つ、バスヴィオラ一つ、ピッコロ一つ、ギターを一つ持っておりました。
彼はどんなに必要な事、差し迫って欲しいものがあっても、決して借金だけはしなかったのです。
バッハの作曲教授法
彼の作曲を教える方法は、他の教師達の堅苦しく生気のない、規則ずくめのやり方とは全然違いました。
和声学、対位法、数字記号付き低音奏法、フーガ法、全てのものを教えるのに、生命と興味に満ちた研究方法を用いたのです。
彼はまずどの弟子にでも、ある特定の全音階で各音部を書きつけさせて、ごちゃごちゃになったりでたらめな部分が出来たり、どの音部もくだらぬ馬鹿げた音を出したりする事がないようにします。
どの音符でも、正しい根拠がなければ存在を許されないのでした。
単に気がきいているからといって、偶然的に和音を添付するようなことも、決して許しませんでした。
「いったいこれはどこから出て来たのかね?」と彼は半ばからかうように、半ば詰問するように訪ねて、削除してしまうのです。
「天からでも、君の譜に落っこちてきたのかな?」
アンナ著「バッハの思い出」のまとめ
アンナがどれほどにバッハを深く愛し尊敬していたのか。
そしてバッハもまたアンナを深い愛で包んでいたこと、家族を愛していたこと、弟子達を思いやって厳しく、でも笑いに溢れていた事、そんな素敵な「バッハ」の事がよく伝わって来る一冊です。
バッハの作品はバロック音楽ですが、とてもロマンティックだと私は思っています。
(バロックだからロマンティックではない、というわけではないですよね。)
それはやはり、バッハ自身がロマンティックで、心の大きな方であったからだと確信させられました。
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