壮絶なクララ・シューマン【愛の手紙】を読んで、もっとシューマンを知ろう!

2020年7月17日

10年以上前に買った本を読み直してみましたよ。

大好きな作曲家、ロベルト・シューマンの奥様で、自身も作曲家でピアニストであるクララ・シューマン。

ロベルト・シューマン(左)とクララ・シューマン(右)

原田光子著の「クララ・シューマン【愛の手紙】」。

その作品のことをもっと知りたかったら、その曲を作った作曲家の事を知るといいですよ。
そのためにオススメなのは、伝記と書簡集。

さぁ、今日は「クララ・シューマン【愛の手紙】」についてご紹介しましょう。

クララ・シューマン【愛の手紙】の目次

ではまず、クララ・シューマン【愛の手紙】の目次から見てまいりますよ。

  • 第1章:幼女時代(1819-1827年)
  • 第2章:初舞台(1827-1828年)
  • 第3章:ロバート・シューマンの登場
  • 第4章:翼ある人々(1828-1831年)
  • 第5章:クララ、パリに行く(1831-1832年)
  • 第6章:芽生え(1832-1833年)
  • 第7章:霜降る日(1834-1835年)
  • 第8章:春を待ちつつ(1835-1837年)
  • 第9章:嵐
  • 第10章:クララ、ウィーンに行く(1837-1838年)
  • 第11章:恋文
  • 第12章:ひとり旅(1838-1839年)
  • 第13章:戦いは終りぬ(1839-1840年)
  • 第14章:春、光りと雨(1840-1844年)

目次を見ているだけでも、クララの生涯をぽわんとイメージしてしまいそうです。

クララの父ヴィークの野心とは

作曲家ロベルト・シューマン(この書では”ロバート・シューマン”と記載)と、その妻となったクララ・シューマン。

クララは結婚前の姓をヴィークといいます。
クララの父、フリードリッヒ・ヴィークは、当時ピアノ教師として優れた能力を発揮していました。

その父によってピアニストとして育てられた愛娘のクララ。
そして師と仰いでヴィーク家の世話になっていたシューマン。

話の始まりには、まだシューマンは登場しません。
まずはクララの父ヴィークの野心が見えてきます。
ヴィークの完成した教授法を、愛娘クララに試みて大ピアニストに育て上げる事。
それこそが父ヴィークの野心でした。

クララは生まれながらの才能もあったでしょう。
しかし、父の手によって、確実に欧州で名を知られる大ピアニストとなったのです。

後年の時代に生きている私たちは、ともすればクララは作曲家シューマンの妻、くらいに思っている人も多そう。
でもね、クララはなかなか凄いピアニストだったのだ。

そもそも「クララ」という名前は、「光り輝く者」という意味があるのだそう。

クララの生母マリアンネもヴィークの弟子だったんですよ。
マリアンネはヴィークとの結婚後、ヴィークから壮絶な練習と演奏会をさせられました。
そして二人の間に生まれた愛娘に対して、夫が自分にしたような野心を抱いている事を知って、マリアンネは耐えられなくなりヴィークと離婚したのです。
ちょっと簡単すぎる説明ですが、ざっくり言うとね、こんな感じ。

ヴィークは、クララが小さい手で聴き覚えた歌のメロディを弾き始めた頃から、「ピアノを歌わせることの重要さを強調して教え」、音の微妙な表情を教えていました。

クララは音楽理論・作曲・弦楽器・スコアを読む訓練など、クララの理解力に応じてヴィークは教え込んでいったのです。

シューマンの二面性

将来を心配した母の勧めに従って、音楽ではなく法律を学ぶ大学へ進学したシューマン。

シューマンは、母を心配させないようにと、こんな手紙を送っています。

僕の生活は単調で別に面白い事もありませんが、
(大学の講義は彼の興味を全く引かなかったが)
僕は克服します!
男子が意志をもって望めば、必ず成就するはずです。

しかし同時に友人へ宛てた手紙では

僕はまだ一度も講義に出ていない。

と書いているんですよ(笑)。

多くの芸術家と交流があったクララ

まだこれからどうなるのか全くわからないような状態だったシューマンとは裏腹に、9歳年下のクララはすでに公開演奏会も多かった。

なんとクララは、ショパンの作品を公開演奏会で最初に弾いたピアニストなのだそうですよ。

ゲーテからは

6人の少年を集めた以上の力がある。

と褒められた。

また、詩人のハイネは

クララを初めて見たものは、父や周囲の者達に対しても、極めて自然で温順な13歳の少女に過ぎないと思うだろう。

しかしより深く観察すると、何か非常に特異なものを識別し得るのだ。

不思議な程にひたむきに相手を見つめてくる眼差しをもった美しく愛らしい顔….(以下省略)

彼女は何を知っているというのだ?音楽である。

メンデルスゾーンの前で彼の作品を弾いてもいる。

彼女は小さい悪魔のように弾いた。

リストの前ではシューマンの「謝肉祭」を弾いて聴かせたそう。
そのクララの演奏を聴いたリストは

精神がある!
私の知る限りでの偉大な作品だ!

 と言ったとか。

恋の芽生え

シューマンが初めて、クララに心をかたむけた手紙を書いたものには、こんなことが書かれていました。

天国の如き秋の光と喜悦の中に、僕のよく知っているクララに似た天使の顔がのぞいています。

貴女が僕にとってどんなに大切な人か、ご存知でしょう。

きゃーっ!照れるぅぅぅうう!って私が言われたわけじゃないですよね(笑)

このシューマンからの手紙に対して、クララはどう返したかと言うと、

2時間もかかってお手紙を読んでいますのに、まだ頭に入らない、少しばかり憎らしい字がございます。

と何気なく(笑)

しかし、当時のシューマンはまだ「頼りない変人」に見えたようで、クララの父ヴィークは、二人の交際も結婚も認めるわけにはいきませんでした。

しかし、シューマンとクララの秘密の文通は続く。

その内容がなかなか興味深い。(おかしい、とも言う。)

クララが大真面目に、「結婚するには生活できるだけの経済力がなければならない」と説いているのに、シューマンはまるで見当違いな事を返して来る。

まるで会話にならないのだ。シューマンは夢見る大きな子供のようでした。

ロマンティックな夢の世界にいて、欲しいもの(クララ)は欲しいんだから、欲しいの!と駄々をこねるチビッコのよう。

もちろん、クララだって贅沢な生活を保障してくれ、と言っているわけではありませんでした。

「明日のパンの心配をすることなく今までピアノの練習をしてこれたのですから、明日食べるものの心配をするのでは生活できません」

といったふうで。ま、そりゃそうですよね。
愛があれば!って言いますが、愛だけじゃ生きて行くのはむずかしいですから。

しかし、クララも相当詩人でロマンティスト。

シューマンから「幻想曲」の楽譜を受け取って書いた手紙には

貴方の輝かしい幻想曲を受け取り、私は喜びのあまりに病気になる程でした。

一通り目を通しますと、私は窓際に引き寄せられ、そのまま美しい春の花の中に身を踊らせて、花を抱擁したいように感じました。

…以下省略…

貴方と御一緒になりましたら、私は決して再び作曲しようとは思いませんわ。

もし思ったら、私は大バカ者でしょう。

….す、すごい…たじたじ…

しかし、クララ・パパの反対もそのやり方が凄まじい。

詳しくはここには書きませんが、これじゃあ、裁判で負けるのは理解できるところ。

この本では、めでたく結婚出来てから少しのところまでが書かれています。

結婚してからは文通ではなく、なんと「交換日記」!(しかし間隔はものすごく開いていたようです)

クララ・シューマンのピアノ曲を動画で紹介

最後にクララ・シューマンのピアノ作品をご紹介しますね。

クララ・シューマン作曲「プレリュードとフーガ」Op.16-2

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