ひすいこたろうの幸せの種は歴史の中にある!人生に悩んだら「日本史」に聞こう!
筆者は「ひすいこたろう」さんの文章が好きです。ひすいこたろうさんの本は読みやすいだけじゃなくて、読んでいる最中も読んだ後も「幸せ」で心が満たされるの。
そしてね、ひすいこたろうさんの本は「幸せ」を感じるだけじゃなくてね、自分の人生に役立つ指針が散りばめられているんです。
歴史は繰り返す、と言いますよね。まさにその通りだと筆者は思うのですが、過去の歴史を知れば知るほど、歴史から学べることはたくさんあります。そして自分のこれからの人生に活かす事ができるんですよね。
さぁ、あなたも人生に悩んだら、日本史に聞いてみませんか?幸せの種は歴史の中にある!
Contents
幸せの種は歴史の中にある!人生に悩んだら「日本史」に聞こう!の目次
ではまず、ひすいこたろうさんと白駒妃登美さん共著の【幸せの種は歴史の中にある!人生に悩んだら「日本史」に聞こう!】の目次から見てまいりましょう。
- 夢:先人に学ぶ「夢」を叶える生き方
ーー豊臣秀吉が実践した”天命追求型”の人生とは? - 粋:先人に学ぶ「粋」な生き方
ーー西郷隆盛はどうやって戦争相手をファンにかえたのか? - 楽:先人に学ぶ人生の「楽しみ方」
ーー吉田松陰は”最悪の逆境”をなぜ楽しめたのか? - 愛:先人に学ぶ「愛」される理由
ーー坂本龍馬はなぜこんなにモテるのか? - 絆:先人に学ぶ「絆」の紡ぎ方
ーー加賀百万石が時代を超えて大事にした、宇喜多秀家とその妻の”想い”とは? - 美:先人に学ぶ日本人の「美しさ」
ーー19世紀のアメリカ人が、小栗上野介たちの態度に感動したのはなぜか?
「ご縁」「絆」「おかげさま」という言葉は、外国語には訳しにくいのだそう。確かに筆者もこの「ご縁」「絆」「おかげさま」という言葉だけじゃなく、例えば日本人が日常的によく使う(多分毎日言っていそうな)「お疲れ様!」という言葉も、なんて言ったらいいんだろう?って考え込んだことがありました。
日本人独特の考え方・思考のDNAがありそうですよ。
日本人の本来の生き方とは
当時も今も多くの人に愛されている豊臣秀吉。その秀吉は、遠い未来に目標を定め、”今”をその手段としたのではなく、いつでも”いまここ”に全力投球だったそう。
雑用係だった時も足軽になった時も、その時の仕事に心をときめかせワクワクして仕事をしていた秀吉。常にその仕事の相手となる人が喜ぶことに全力投球だったのです。足軽になった秀吉が、織田信長のために草履を懐に入れて人肌で温めていたというのは有名なエピソードですよね。
【人生に悩んだら「日本史」に聞こう】の著者である白駒妃登美さんはこう書いています。
夢の背景には、実は「こんな自分は嫌だ」という不満があったりします。でも不満から発したものは、どこまで行っても不満と別れられないのではないでしょうか。
人は、不満を持っている人ではなく、楽しんでいる人の周りに自然に集まっていくものです。
確かにそうですよね。文句や愚痴ばかり言っている人と一緒にいると、心が荒んできますから、そんな人からは離れたくなるもの。
夢に生きるということ
50歳を過ぎてから、自らの足で日本全国を歩いて測量し、初めて正確な日本地図を作成したことで有名な伊能忠敬。
その伊能忠敬が日本地図を作るために出かける前に幕府に宛てた手紙にはこう書かれています。
隠居の慰みとは申しながら、後世の参考ともなるべき地図を作りたい
つまり、伊能忠敬は後世の私たちのことを大切に思ってくれていたのですね。
この【人生に悩んだら「日本史」に聞こう】著者の白駒妃登美さんの文章が私たちの心に染み入る言葉を書いてくれています。
夢に生きるとは、やりたいことだけやることではないのです。
夢に生きるとは、好きなことだけやることではないのです。
夢に生きるとは、目の前のことをすべて受け入れ、そのときにできる小さな一歩を踏み出し続けること。
夢に生きるとは、大切な人たちを、ちゃんと大切にすること。
チャンスはいつだって、いま、目の前にあるということです。
共著のひすいこたろうさんは伊能忠敬のことを、こう書いています。
伊能忠敬の一歩は69センチであったと言われています。忠敬は計測のため、日本全国を完璧に同じ歩幅であるき通しました。その執念が正確な地図として実を結びました。
忠敬の死の35年後にペリーが来航します。日本を未開の野蛮な国だと決めつけて来たら、世界水準の地図が存在することに驚き、日本を見下すことを改めたと。
昔の人たち=先人の教えとはまさにこのこと。誇らしいですね。でも誇らしがってだけいないで、私たちも”いまここ”に一生懸命に夢中で取り組むことを大事にしたいです。
日の丸の始まり
日本の国旗は「日の丸」。昔々、白米の真ん中に梅干しを1つ乗せただけのお弁当のことを「日の丸弁当」と言いました。
幕末に島津斉彬というお殿様が鹿児島にいました。西郷隆盛を見出したお殿様でもありますね。その島津斉彬公が、現在の日本の国旗「日の丸」に大きく関わっているそう。
筆者(わたし)はお恥ずかしながらこの話はこの【人生に悩んだら「日本史」に聞こう】を読むまで知りませんでした。
幕末、国際法のからみで日本の船にナショナル・フラッグをつける必要性が生まれました。このとき鹿児島城で、桜島に上る朝日を見た斉彬は、
「あのさわやかな輝き出ずる太陽の光をもって、鎖国の夢を覚まさなければならぬ。日本の将来は、古代から日本人が命の恩として愛してきた、輝く太陽のようでなければならぬ」
と考え、太陽のマークである「日の丸」を日本のナショナル・フラッグにすることを、徳川幕府に提案しました。
なるほど。我が日本の「日の丸」とは、そうして生まれたのですね。やはり輝き出ずる太陽の光であるというのは、今更何を言ってんの?って笑われちゃうかも知れませんが、嬉しいです。
与えられた環境に意味がある
福沢諭吉と言えば、1万円札の人…ですが、それだけではなく、慶應義塾大学の創設者。武士であり蘭学者であり、啓蒙思想家で教育者でした。
その福沢諭吉は大分の下級武士として生まれたのです。もしも福沢諭吉が薩摩・長州・会津などに生まれていたら、今わたしたちが知る福沢諭吉ではなかったかもしれません。
というのは、福沢諭吉が生まれ育ったのは、中津藩という10万石ほどの小さな藩。激動の幕末期においてもさしてパッとした働きをしたわけではないそう。もし福沢諭吉が薩摩藩にいたら、長州藩にいたら?
今日本人の誰もが知る福沢諭吉ではなかったでしょう。この福沢諭吉の人生から、著者の白駒妃登美さんはこう語っています。
福沢諭吉の人生から思うこと。それは、与えられた環境こそが、実は自分という種を生かすには最高の土壌なのだということです。
自分のいま置かれている環境が、たとえ気に食わないとしても、一生というスタンスで眺めた時には、そこに意味があると。
自分の置かれている環境をもっと信頼していい。そのことを気づかせてくれたのは、福沢諭吉です。
確かに。私も子供の頃は「なんでこの家に生まれたんだろう?」「なんで日本に生まれたんだろう?」と思っていました。いずれも否定的な悲観的な意味で。
でもある程度人生を生きてみると思います。この家に生まれてよかった。日本に生まれて良かった!大変なことはいっぱいあったけれど、それもこれも、この家に生まれたからこそ、日本に生まれたからこそ気づけたたくさんの良いことや素晴らしい経験がある。
こんなところなんて!と悲観的に思うよりも、「いまここ」で出来ることを見つける努力を重ねた方が、数倍あなたを幸せにしますよね。
かわいい想いの伝え方とは?
今から1000年以上前の歴史物語「大鏡」の中にある記述が紹介されています。簡単にお話すると、こうです。
京都御所では毎年美しい梅の花が咲いていました。ところがその梅の木が枯れてしまい、残念に思った村上天皇は、代わりの木を見つけてくるよう命じました。
そして立派な梅の木が見つけられ、京都御所に移植されたのですが。。。
村上天皇が梅の木に目を移すと、そこには枝に結び付けられた文が。その文には和歌が書かれていました。
勅なれば いともかしこし うぐいすの 宿はと問はば いかが答へむ
この和歌の意味は、「帝のご命令ですから、梅の木は謹んで差し上げます。しかし、この木を止まり木としているうぐいすが「私の宿はどこ?」と尋ねてきたら、どのように答えたらいいでしょうか?というもん。
この和歌を書いたのは、「土佐日記」の著者である紀貫之の娘だったといいます。これが見事。言い方ですよね。「大事な梅の木を差し上げるわけにはいきません!」と言えば角がたつもの。この和歌に感銘を受けた村上天皇は、すぐさま梅の木を元の場所に戻したとのこと。
この【人生に悩んだら「日本史」に聞こう】には、他にもたくさんの先人たちの教えがあります。日本史が好きなあなた、歴女なあなたにも、そして人生にちょっと疲れちゃったあなたにもおすすめ!
幸せの種は歴史の中にある!人生に悩んだら「日本史」に聞こう!のまとめ
- 日本人の本来の生き方とは”いまここ”に全力投球であること
- 夢に生きるということは、”いまここ”に一生懸命・夢中で取り組むこと
- 日の丸の始まりは、島津斉彬公が日本の将来は輝き出ずる太陽の光のようでなければならぬと思ったところから
- 与えられた環境には意味がある!”いまここ”で出来ることを見つける努力を使用!
- かわいい想いの伝え方を考えれば関係は壊れない!
さぁ、あなたも何か人生に悩んだら、日本史に・先人たちに聞いてみませんか?