ロマン派の作曲家メンデルスゾーンと童話作家アンデルセンは親交があった!

2021年5月7日

裕福な家に生まれたロマン派の作曲家メンデルスゾーンに、極貧の子供時代を過ごした作家アンデルセン、そして歌姫ジェニー・リンド。この3人が過ごした時代がありました。

メンデルスゾーンは恵まれた家庭にいたけれど、ユダヤ人ということでツラい想いもたくさん経験。

アンデルセンは出会った歌姫、ジェニー・リンドに恋をする。

アンデルセンはグリム兄弟の紹介でメンデルスゾーンに出会いました。そして、ジェニーの素晴らしさをメンデルスゾーンに熱く語り、メンデルスゾーンとジェニーは出会う。

メンデルスゾーンがジェニーの活動を後押ししているうちに、ジェニーはメンデルスゾーンに恋をしてしまう。もしやメンデルスゾーンも?というような内容の本。

この類いのお話は他の作曲家にも見られますが、この本では、メンデルスゾーン、アンデルセン、ジェニー・リンド三者の背景から、その当時の状況などを知る事ができますよ。

メンデルスゾーンの作品と向き合うなら、ぜひ読んでおきたい1冊をオススメします!

童話作家アンデルセンの背景

アンデルセン
童話作家アンデルセン

ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、1805年にデンマークのオーデンセという街で生まれました。アンデルセンの母は、幼い頃から貧しく、物乞いに出されたこともあったそう。「マッチ売りの少女」のモデルはアンデルセンの母だと言われています。

アンデルセンの両親は、貧しくても、愛情だけはたっぷりとハンスに注いで育てました。ハンスは非常に楽観主義だったそう。しかし、不安症でもあり具合が悪くて寝る時には、

「死んだように見えるかもしれませんが、生きています」

というメモを置いていたそうですよ(笑)。

ある日、占い師に「この子は偉い人になる。いつかオーデンセの町全体が、この子のためにイルミネーションで飾られる」と言われたとか。迷信深い母はこれに涙を流して喜び、ハンスも多いに喜んで、希望以外は何ももたず、たった一人で新しい世界へ飛び出て行った(街を出て行った)!

しかし、何もアテがあったわけではないんですね。このあたりが楽天的ですよね。そうは思っても、「自分は絶対大物になる!」と強く信じ続け、実際に世界的に有名な作家となったのですから、アンデルセンの信念はすごい。
(アンデルセンははじめから作家になりたかったわけではないそうで。その上、文章は間違いだらけの綴りだったそう。)

メンデルスゾーンの偉業とは

作曲家メンデルスゾーン
作曲家メンデルスゾーン

バッハが古すぎるというのは、間違いだと思う。その間違いを正すためにも、できるだけ原典に忠実に演奏したい。
時代の趣味に合うよう編曲するなど、もってのほかだ。

ただ、オーボエ・ダ・カッチャは使えないのでクラリネットに代えなければならないし、テノールの高音すぎるところもちょっとキーを下げたりとか、小さな変更は加えたけどもね。

収益は寄付するというかたちの慈善演奏会として、バッハ作曲の「マタイ受難曲」は、メンデルスゾーンの指揮により再演されました。それは1829年のこと。

この演奏会の日は、あの人気ヴァイオリニストのパガニーニのリサイタルとぶつかったにも関わらず、超満員、劇場の外にも入りきれなかった客が数百人もいたそう。メンデルスゾーン、20歳の時の事。

メンデルスゾーンは、バッハ再評価の道をつけるという音楽史に残る偉業を成し遂げたのです!

メンデルスゾーンとアンデルセンの出会い

アンデルセンはある日、メンデルスゾーン家の内輪のパーティに招かれました。その時、あの作曲家でピアニストのフランツ・リストもいたんです。リストが現れると、それまでアンデルセンの元で話を聞いてくれていた女性陣があっという間に散ってしまった(リストの元へ駆け寄ってしまった)とか。

そうしてリストは、華やかな超絶技巧の練習曲を広間で演奏することとなったようです。その後、リストと年の頃が同じくらいの男性がピアノに向かいました。その演奏姿、陶酔しきった様子などは、まるでリストそのものだったそう。しかしそれは、メンデルスゾーンが「リストの真似」をしていたのだとか。

リストの演奏の真似をした後、メンデルスゾーンは本来の自分の姿のままに演奏をしました。

リストが燃える真紅の薔薇なら、メンデルスゾーンは白い百合のような清潔さが感じられる

とは、言い得て妙というか、すごい描写だと思います。いやしかしメンデルスゾーンったら、リストの演奏真似をしちゃうなんて、お茶目さんですね♪

40~50人の集まりだったという事ですが、何とも羨ましい限りです。

ジェニー・リンドという歌姫

1820年、スウェーデンのストックホルムでジェニー・リンドは生まれました。ジェニーは、望まれて生まれてきた子ではなかったといいます。ジェニーの母は未婚の母で、ジェニーが1歳になる前に、いとこにジェニーを預けてしまいました。

そのいとこ夫婦は数年間は、ジェニーを可愛がって育てたものの、後にまた実母のもとに戻される事に。実母からの愛情を注がれ事はなく、貧しくもあり、ジェニーは心を閉ざしてしまったそう。

ジェニーが7歳になった頃には、実母に見捨てられてしまったのです。

メンデルスゾーンもアンデルセンも、両親からの愛情は惜しみなく与えられたのに対し、ジェニーだけは親の愛を与えられずに貧困の中、転々とさせられて育ちました。ジェニーはその寂しさを、歌う事で紛らわせていたよう。

ある日、そんなジェニーの歌声を聴いた王立劇場の関係者によって、ジェニーの運命は開かれていきました。王立劇場附属音楽校の入学資格は14歳だったのに、まだ9歳のジェニーには、その門戸が開かれたのです。そうして、ジェニーはわずか10歳で王立劇場でデビュー。

すると、自分を捨てた母がまた現れた。お金欲しさに親権を主張したのです。我が子をむしゃぶりつくすとは、親の風上にもおけない。そんなジェニーは、親に大きな家を贈ると、親との縁を切るように飛び出したのです。

これ以上書いてしまうのは宜しくないと思うので、興味のある方は是非、手に取ってお読みくださいね。文庫本で1コインで買えるものです。私にはもの凄く興味深い面白い本でした。

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