鎌倉散策なら玉縄城址がオススメ!築城は北条早雲
鎌倉の見どころはたくさん!
あそこもここも見たい!と思ったら1日では回りきれません。
でもね、鎌倉は人気の街なだけに、人が多いんですよね〜。というわけで、人が少ないと言うかほとんど人がいなくて歩きやすい玉縄城址散策をご紹介しますよ!

玉縄城址って何?どこにあるの?なんて事も、お話しますね。
Contents
鎌倉にある玉縄城址って何?
鎌倉の山側(と言っても、鎌倉山ではない)にあった玉縄城。そのお城跡だから玉縄城址と言います。
かつての相模国鎌倉郡玉縄村、現在の神奈川県鎌倉市玉縄・城廻地区にある。戦国時代の山城で、「当国無双の名城」と言われていました。
30年ほど前から、このあたりは新興住宅街となっています。玉縄城址、今回は山の上から降りてくる写真をご紹介しますが、登る場合の最寄りのバス停近くには、軍需工場の昌運工作所がありました。今はコーナン・ショッピングセンターになっています。
玉縄城を築城したのは北条早雲
さて、玉縄城を築城したのは、北条早雲(1456-1519)。永世9年(1512年)のこと。三浦半島攻略の拠点として玉縄城は築城されました。
玉縄城の初代城主となったのは、北条早雲の次男、氏時。
玉縄城の外堀が、柏尾川と直結していて相模湾まで出ることができたため、水軍を統括する拠点となっていたとか。柏尾川とは、JR大船駅を出たところを流れている小さな川。ここから玉縄城址までは歩くと30〜40分ほどかかります。
玉縄城はどうしてなくなった?
玉縄城が現在存在しないのはどうしてなのでしょう?
北条早雲によって築城された後、北条家4代で受け継がれました。しかし、時は豊臣秀吉による小田原征伐(天正18年=1590年)。当時の玉縄城主だった北条氏勝が玉縄城で籠城すると、小田原城主・北条氏政の疑心を招いてしまう。その結果、徳川家康軍によって玉縄城は包囲され、降伏・開城。
その後、徳川政権下では家康の側近・本多正信の居城となり、次いで長沢松平の居城となった。
元禄16年(1703)年、長沢松平が上総大多喜藩に国替(転封)になったことで、玉縄城は廃城となったのです。
いざ!玉縄城址散策!
というわけで、今日は玉縄城址の山の方(城廻)から、玉縄へ降りていくルートを写真でご紹介します。

ここを下って行くのが「七曲坂」という坂。その手前で「玉縄城趾散策ツアー」の
団体さんがいらっしゃいました。
ちょっと一緒にお話を聞いちゃったりしてw。

この案内図のところで、ちょっと休憩もできます。

さぁ、七曲坂を下って行きます。

こんな旗が。

のぼりがかっこよくてしびれますね!
2012年は玉縄城築城500年だった

玉縄城築城500年祭というのがあったのですね。どんな事があったんだろう。こういった実行委員会、面白そうですね。

築城500年とは言っても、現在玉縄城はありません。城址があるだけ。

美化奉仕活動もあるのですね。玉縄城緑地愛護会の皆様が先導して、このあたりをきれいに守っていてくださるの。感謝です。

七曲坂をおりてきて、中腹くらいでしょうか。ちょっとした休憩所があります。
人がいなくてお天気が良いと、気持ち良いですよ。

確かに玉縄城址の「歴史の道」ですね。

今回は、七曲坂の上にある「城廻(しろめぐり)」という住宅街からおりてきました。

のぼっていく方が「攻めていく」感じがして萌えるでしょうか?
玉縄城址の今
玉縄城址は、昭和38年(1963年)に清泉女学院中学高等学校が移転してきたことで、多くの遺構が清泉女学院の校内になりました。
その際、多くの遺構は破壊されたとのこと。その清泉女学院の敷地とならなかったところも、住宅街の開発などで、失ったものは多いようです。
以前は清泉女学院にお願いすれば、女学院内部の遺構を見学させてもらえたようですが、何かと物騒になった昨今では、なかなか難しいよう。
玉縄城址の場所とアクセス方法
玉縄城址は、JR大船駅が最寄り駅。大船駅の改札は2ヶ所。南口ではない方に出ましょう。
東京方面から来た場合、進行方向に近い改札が「東口・西口」。小田原や横須賀方面から東京方面行きの電車に乗って大船に来た場合は、電車の後方に近い改札が「東口・西口」になります。
「東口・西口」改札を出たら、改札の目の前に「ルミネ」がありますが、西口は右側へ進みましょう。
モノレールで大船へ行く場合は、改札は1つしかありません。改札を出たら、人の流れに沿って進むと、JRの東口・西口の改札の方に出ますので、改札を右側にしてそのまま前進しましょう。
大船駅から玉縄城址への行き方は
- ひたすら徒歩
- 最寄りのバス停までバスに乗る
- タクシー?
真夏にひたすら徒歩で行くのは、ちょっと危険かなと思いますが、良い気候の頃なら軽いトレッキング気分で行くのも良いかと思います。ひたすら徒歩で約40分ほど。
大船駅西口からバスで行く方法
大船駅西口に出たら、しばらくは歩道橋を道なりに進みましょう。
途中で、バスターミナルへ降りる階段とエレベーターがありますので、そこからバスターミナルへ降りてください。
船101大船駅西口発(のりば1)「城廻中村行」もしくは船32「藤沢駅北口行(渡内経由)」(のりば1)に乗って、「公会堂前」下車。乗車時間約5分。大船駅から5つめの停留所が「公会堂前」です。公会堂前で降りたら進行方向の右側へ渡りましょう。
(これは上りルートの最寄りです。上の写真では下りルートでしたが、上りの方が風情があるかと。)
大船駅西口発、平日の時刻表は以下のとおり
8時 | 0分、8分、16分、24分、32分、40分、50分、52分 |
9時 | 0分、5分、10分、12分、20分、30分、32分、45分、52分 |
10時 | 5分、20分、32分、45分 |
11時 | 5分、20分、20分、45分、52分 |
12時 | 5分、20分、32分、45分 |
13時 | 5分、20分、45分、52分 |
14時 | 5分、20分、32分、45分 |
15時 | 5分、12分、20分、45分、52分 |
16時 | 5分、20分、32分、40分、55分 |
17時 | 10分、12分、25分、52分、55分 |
大船駅西口発、土日祝日の時刻表はこちら。
8時 | 10分、25分、40分、42分、55分 |
9時 | 10分、13分、25分、33分、40分、53分、55分 |
10時 | 10分、13分、25分、33分、40分、53分、5分 |
11時 | 10分、13分、25分、33分、45分、53分 |
12時 | 5分、25分、33分、45分 |
13時 | 5分、13分、25分、45分、53分 |
14時 | 5分、25分、33分、45分 |
15時 | 5分、13分、25分、45分、53分 |
16時 | 5分、25分、33分、45分、53分 |
17時 | 5分、13分、25分、33分、45分、53分 |
18時以降もバスはありますが、散策向きの時間ではないので省きます。
なお、バスの時刻は変更になる場合がありますので。バスを利用される方は、神奈中バスのホームページで時刻を確認してくださいね。神奈中バスのホームページはこちらをクリック!
帰りのバスは、5分〜15分おきに走っています。
大船駅西口から徒歩で行くルート
暑すぎない時期なら、大船駅から徒歩で行くのもオススメです。
地図では、幾つかルートがあります。どうやって行っても行けますし、時間的にも大差はありません。
そうそう、画像下に「鎌倉市立玉縄中」とありますが、玉縄中学校に隣接して「大船フラワーセンター」がありますので、時間に余裕があれば、帰りにフラワーセンターで休憩がてらお花を愛でるのもオススメです。大船フラワーセンターのホームページはこちらをクリック!
地図で「玉縄城」とありますが、お城はありません。城址ですので、ここから山を登っていきます。
大船駅西口からタクシーで行く場合
大船駅西口で、歩道橋へ進まず階段を降りると、タクシー乗り場があります。そこから玉縄城址まで、ワンメーターで行けます。多分、タクシーで行く方はいないかと思いますが、ご参考まで。
玉縄城址、参考サイトのご紹介
玉縄城址について詳しく書かれているウェブサイトをご紹介しますね。
https://tamanawajo.jp/
ニッポン城めぐり*玉縄城
https://cmeg.jp/w/castles/2924
鎌倉散策なら玉縄城址がオススメのまとめ
- 玉縄城とは鎌倉市玉縄・城廻地区にある。戦国時代の山城のこと
- 玉縄城を築城したのは北条早雲で、1512年のこと
- 玉縄城の最後の城主だった長沢松平が上総大多喜藩に国替になり、廃城となった
- 玉縄城址は現在ほとんどが清泉女学院の敷地となっている
- 玉縄城址へ行くには、JR大船駅西口から徒歩かバスがオススメ
鎌倉散策は、お寺だけじゃない!大船駅で降りて、玉縄城址を散策するのが人も少なくてオススメです。大船フラワーセンターにも立ち寄れば、まる1日楽しめますよ。