誰もがかつては子供でした。自分が子供だった頃に、大人に言われた理不尽なことを覚えている人もいるでしょう。大人は「後でね」という言葉が好きだ。いい子にして「後で」を待っていても、大人が約束したはずの「後で」は子供には絶対訪れない(笑)。

自分が大人になった時、何気なく子供に「後でね、ちょっと待っててね」という言葉を無意識にしょっちゅう発していたことに気付いた時、愕然としました。

どうして人は、自分が経験してきたことを忘れてしまうのでしょうか?

育児に関する書は多い。特に「どう子どもと向き合ったら良いのか?どう子どもに声をかけたらいいのか?」というような、「心のケア」に焦点をあてているものが多い気がします。私が息子を生んだ頃は、心の事ではなく行動としての「育児書」ばかりだったように思う。

「子どもの心のコーチング」とありますが、何冊もこの類いの本が出ている中でどうしてこれを選んだのか?という事は忘れていました。ほんの数日前に買った本なのに。でも、読んでみてわかりました。そうそう、この本が読みたいと思ったのだ。

「子どもの心」を助けるために、その前にすることがある。親(や、子どもに接する大人達)自身の心の問題だ。

子育ての焦点は「今」ではなく「将来」へ

私たち親は、「今」の焦点をあてがちです。

  • 今、子どもは安全か?
  • 今、子どもは親の思うとおりにふるまっているか?
  • 今、子どものまわりで親の望むとおりのことが起きているか?

4~5歳の子どもは、母親の膝から自立して社会へと足を踏み出し始める時期ですね。自分の身を守る事、人を傷つけないことをはじめとして、人とうまく遊ぶにはどうしたらいいか?そんな感情と行動をコントロールする、そんな社会的な
スキルを身につけ始める時期。

このスキルこそが「生きる力」と言えるでしょう。このスキルを身につけるには、体験するしか方法はない。ところが、この時期に親がぴったりとくっついて、どう振る舞うべきかをいちいち指示したらどうだろう?子どもが自分で考えたり行動するという、そのチャンスを失う。

赤ちゃんの親は、できない子を完全保護する「保護者」

人間の赤ちゃんは未熟な状態で生まれて来るため、生まれてしばらくは完全な依存状態でいます。この間は完全な保護を受けないと生きていけません。しかしその後、おすわり、ハイハイなど自分で動けるようになっていく。

自分で出来る事が増えることは、危険が増えることを意味する。親は、大切な愛する子どもを危険から守るために、子どもを規制して支配しようとしてしまう。

危険なものに触れないよう「ダメ」を連発してしまう。突然走り出すこどもを制止するために手をつなぎ、ベビーカーに縛り付けて外出する。子どもの安全を守るためではあるけれど、こうして親はいつまでも子どもを「出来ない子」として扱ってしまう場合があるのですね。

子どもの成長に従い、親は保護者から「親」へ

親の役割は「できる」子どもに対して援助することです。「できない」子であれば、本人がやるのを「見守れば」良いのです。

「できない」という無意識のメッセージを受けながら育つ子と、「できる」人としての扱いを受けて育った子どもの人生は大きく異なります。あなたはどちらで育ったでしょうか?

親の「ヘルプ」が子どもをダメにする

「援助」という言葉は英語で「Help」と「Support」とがありますが、この二つの言葉は実際には大きな違いがある。

ヘルプはできない人のために、その人に変わってやってあげること。サポートは、その人を「できる」人ととらえて、そばで見守り、よりよくできるようになるよう「必要な時には手を貸す」

もし飢えている人がいたら、魚を釣ってあげますか?それとも、魚のつり方を教えますか?(もう、これだけで何を言わんとしているか、わかる方はきっと大丈夫。そう思います。)

飢える人は、自分の飢えという問題を自分で解決することなく、ヘルプしてくれる人に頼って生きることになる。大きくなっても、人に頼らなければ生きていけない自分に嫌悪感を抱いてしまいます。親にヘルプされ続けて来た子どもも同じかもしれません。

ヘルプは親の自己満足。子どもの人生を横取りする行為

ヘルプは一見、親切な行為に見えます。しかしそれは、時には「出来る人」を「出来ない人」と捉え、「やってあげている自分」を救助者として高い位置に置いて「出来ない人」に親切の押し売りをしてしまう。

人は本当にヘルプを必要とするときがあります。それは命や心が危険にさらされていえる時。しかし、それ以外はちょっと待ってまかせてあげれば、たいていの事は自分でできるのだ。

ヘルプする親のヘルプの先にあるものは、子どもの幸せではない。子どもが何を望んでいるかではなく、親が望んでいるものを叶えるためにヘルプをしている。

私たちの人生に「遅い」という事は、ない

たとえ子どもが何歳になっていても、親が気づいた時がスタートライン!

親が変える気さえあれば、子どもはいつだって受け入れてくれる。(私もそう思います。我が子と夫と自分の過去を振り返って。)

愛だけが自分を好きという感覚を育てる

人が生きていくうえで、もっとも大切な感情が「自己肯定感(自分が好きという感覚)」。自分の存在を肯定する感覚です。

親のもっとも重要な使命は、子どもに自己肯定感を与えること。それは「愛する事」を教える行為。「愛する事」を教えられた子は、一生幸せに生きられます。自分を愛し肯定しているので、苦しい事があっても、強くいられるのです。

「あなたのために(よかれと思って言った/やった)」は、子どもにとっては「愛」とは伝わらないんですよねぇ。

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禁止語と命令語

子どもに愛を教える大きな要素に「言葉」があります。

子どもの意識は真っ白なキャンパスだ。しかし、そこに親がいろいろと書き込みをしていく。その書き込みの多くが「禁止語」や「命令語」ばかりであったらどうだろう?

「ダメ、ダメ!」
「やめなさい!」
「いい加減にしなさい!」
「早くさっさとやりなさい!」
「しょうがない子ね!」
「バカね」
「ぐずなんだから!」

これらの言葉は子どもにストレスを与えるだけではない。子どもの否定的な「セルフイメージ」を育ててしまいます。人は、自分がこういう人間だという自画像=セルフイメージを持っていますが、それは長い間の経験によって作られる。

しかし、最も大きな影響力をもっているのが、幼少期に親によって書き込まれた言葉なのだ

禁止語を言わないために

子どもの動きを規制しなくてもいいような環境を作る。触ってはいけないもの、危ないものは身近におかない。もしくは年齢に応じてそれらの使い方を教えていく。=身をもって危険を教える。

命令語を使わないために

命令しなくても子どもが行動するように習慣付けする。

「しつけ」は、できていないことを口うるさく言うことではない。子どものできていないことを探す目ではなく、できていることを探す目に切りかえる。できていることを、認めてあげるのだ。そうすると、子どもは「愛されている」と感じる。

子どもを人生の被害者にしないために

原因と結果から子どもは学んでいきます。たとえば、毎朝親が子どもを「起こしてあげている」と…それでも起きれず遅刻したら、子どもは「お母さん(お父さん)が もっと早くに起こしてくれなかったから」と、人のせいにするようになる。起きれなかったという原因を作ったのは、自分ではなく他者である、と。

そう言われて一瞬憤る親の方も、翌朝はまた子どもを起こしてしまう。そうして、子どもは大人になっても人のせいにするようになる。(これは非常によくわかります。)

被害者として都合の悪いことを全て人のせいにして生きるのはラクかもしれません。しかし、それは「自分の人生を自分次第で変えられる」とは考えられないのですから、ストレスの多い毎日になります。ストレスが多いと無力感を感じることが多く、充実感が得難い。

うまくいかないことがあっても、「よし、次は頑張ろう!」とか「今度は違うやり方をしてみよう!」と考えるのは、希望ややる気がわいてきて楽しいものです。

しかし、被害者となってしまった人にとっては、自分がどうするかではなく、誰か人のせいにするのに忙しくて、未来や、次に自分に何ができるかを考える事はない。

これを解決するために

  • 子どもと会話をする
  • どのようなサポートができるかを話し合う
  • その上で、子どもを起こさない
  • 子どもが一人でできたことを認める(言葉にして伝える)

これらの点に気を付けたいものですね。

親は自分の都合で怒っている

何をやっているの!さっさとしてよ!」「いい加減にしないとぶつわよ」「言う事を聞かない子は、うちの子じゃありません!」

叱られたり脅された子どもはおびえ、その不安を解消するために親の言うとおりに行動してしまいます。これは「しつけ」ではなく、脅しという罰を使った支配である事を理解するべき。叱ることに効果があるのは、命に関わる事を教える時です。

子どもが手伝ってくれても、褒めない

子どもが手伝ってくれた時、「いい子ね」「えらいぞ!」という「褒め言葉」ではなく、子どもが手伝ってくれたことに感謝し、喜ぶ。子どもが親のために働いた時に、親がどう感じたかという気持ちを伝える(教える)。「ありがとう、お父さん助かったよ。嬉しかった!」と。

「良い子ね」や「えらいぞ」と言われても嬉しいだろうが、その言葉だけでは、子どもは自分の働きが相手にどんな肯定的な影響を与えているのか、わからない。

たとえば、子どもが新聞を取って来てくれたら「ありがとう、お父さん、起きてすぐ新聞が読めるから嬉しいな」

子どもがお茶碗を並べてくれたら「お母さん、この時間忙しくて。あなたがいてくれるから助かるわ」というように。

子育てとは、親が自分の気持ちをいかに言葉豊かに伝えるかを学ぶチャンスでもある。そしてその時、親は子どもの中に「人の役に立つ喜び」の種を植えることができるのだ。

生きやすい生活習慣を身につけさせる

親は子供が生きやすい生活習慣を身に付けさせるようにしてあげれば良いのです。例えばこんなこと。

  • 早寝早起き
  • 食事
  • 身の回りを整える
  • お金の使い方
  • 勉強
  • 物をやたらと与えない

ではこれらのことについて見ていきましょう。

早寝早起き

十分に睡眠をとれば、朝は気持ち良く目覚めることができます。そして、気持ち良く一日をスタートさせ精一杯活動することができますよね。

食事について

体をつくるのは食べ物です。

体にいいものを親の手で調理師、家族で食卓を囲むという、当たり前の食の姿を子どもに見せていきたい。

身の回りを整える

体を清潔に保つ、使ったものを片付ける、自分の所有物を自分で管理することを教える。

とても簡単なことのようですが、親自身がこれをちゃんとやるのは易しいことではないのでは?

お金の使い方

年齢に合わせてお小遣いを与え、管理しながら上手にお金を使うことを教えていきましょう。

確かに。我が家も年齢に応じて、コインでお小遣いをあげてそのお金で買えるもの、本当に欲しいものを自分で考えるということを息子に教えてきました。同じ歳の友達は、ビックリするくらい高額なお小遣いをもらっていて文字通り驚いたのを覚えています。

でも私は、何でも当たり前に手に入ると思って欲しくなかったのです。

勉強について

勉強ができるかどうかは、頭のよしあしではなく、勉強ができる環境があるかどうか、ということ。

小さい頃から家庭に「勉強ができる環境」を作るのが親の仕事です。「勉強しなさいしなさい」と言うだけで、子供が勉強に取り組める環境があるか?あなた自身の習慣や家の中の状態を見直してみるのも良いでしょう。

物をやたらと与えない

愛の証として、やたらと物を与えられた子どもは幸せになれないそうです。本来、子どもが欲しいのは親の愛情。勘違いする親や祖父母は「愛の証として」子どもが欲しがるものを何でも買い与えてしまう。

たくさんの物を与えられた子どもは、愛情を感じるために物を欲しがる。しかし、本当に欲しいのは物ではなく愛情なので、いくら与えられても満足できない。そして、もっともっとと求めるようになります。

さて、かなり長くなってしまいましたが、ではどうしたらいい?という核心には敢えて触れませんでした。それを知りたい方はこの本を手にとって読まれるといいでしょう。

チェンバロから考えるバッハ講座Vol.3 装飾音の考え方〜講座のご案内

ベルギー在住鍵盤楽器奏者の末次克史先生による「チェンバロから考えるバッハ・ピアノ奏法の可能性〜Vol.3 バッハ・装飾音の考え方〜」ワークショップのご案内です。

2018年7月15日(日)13時〜

東京都杉並区のスタジオ・ピオティータさんにて

講座参加費:5,000円

ピアノとチェンバロを使ってのワークショップです。

詳細はこちらのページをご覧ください。お問合せ・ご予約はわたくし荒井がメールで承っております。

chihirohk@gmail.com

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